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ゴルフ10大ニュース その7

文:武藤 一彦

ロサンゼルス市郊外の丘陵地に展開する風光明媚なリビエラカントリークラブ

 石川遼の2010年、注目の米ツアー第1戦目は「ノーザントラスト・オープン」。
会場となるカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のリビエラカントリークラブは
日本に馴染みのコース。


日米双方に馴染みの深い大会
タイガーも丸山茂樹もデビュー戦!

 石川遼の2010年、注目の米ツアー第1戦目の「ノーザントラスト
・オープン」。会場となるカリフォルニア州ロサンゼルス郊外の
リビエラカントリークラブは日本に馴染みのコース。

 数々のエピソードや大会への思いを取材メモからひろってみた。
遼の活躍を応援するテレビ観戦のよすがとしてください。

 リビエラCCはロス郊外、太平洋岸の丘陵地、パシフィックパリセーズ
にある。直訳すると"太平洋の柵"。壮大な丘陵地が柵となって陸と海を
隔てる雄大なスケールである。

 これまで日本選手が多数挑戦してきたこともあり、米本土のツアー
としては最も馴染みがあり、その数の多さではハワイアンオープンに
次ぐはずだ。1990年代には日本ツアーのブリヂストンオープンと
姉妹提携を結び、それぞれの大会の優勝者や話題の選手が出場した。

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リビエラCCは日本人プロにとっても馴染みの深いコース
写真は9番ホール。一見するとフラットだが微妙な起伏とグリーン周りのバンカーが
戦略性を高める。なおこのバンカーは後日、ベン・ホーガンが設計し直した。

 そんな縁で石川も昨年、この大会が世界へのデビュー戦となった。
 丸山茂樹の米デビューも94年のこの大会だった。そして現地にいて
悔しい思いを共有した。結果は残念ながら予選落ち。その時わたしは
日本テレビの解説をしており、丸ちゃんには急きょ、18番ホール脇の
中継ブースにきてもらい、決勝ラウンドのゲストとして並んで解説した。

 当時丸山は24歳、その後アメリカで3勝をあげた新人のほろ苦い
デビュー戦だった。今はいい思い出となっている。

 1992年の大会は16歳のタイガー・ウッズがはじめて米ツアーに
出場、話題となった年でもあった。黒縁の大きなメガネをかけた
ひょろひょろとした黒人の少年のしなやかな、しかし、荒削りなゴルフは
いまも脳裏に焼きついている。

 当時は報知新聞社の記者として初めてリビエラを訪れた。
「黒人のアマゴルファーで天才だそうだ」そんな声にうながされ、
日本選手の取材をほったらかしにして、アウトの7、8、9番ホールを
ついて回った。

 アメリカのプレスがたくさんいて、注目度が高いことを確認した。
当時は黒人、しかも少年ゴルファーがゴルフ界では珍しかった。
 私としてはロサンゼルス五輪の開催が決まった直後で、五輪組織委員長の
ピーター・ユベロスさんと握手をし、挨拶できたことの方が興奮だった。

 同氏はハワイで小型飛行機一機で始めた観光事業で成功、手腕を買われ
米国五輪組織委員会から委員長へと抜擢された。その結果、ロス五輪は
大成功に終わり、史上最高の利益をあげた商業五輪と高い評価となった。
それは同氏の功績であった。

 その時の高校生のタイガーは予選落ちはしたが、その後の大活躍。
そのスタートを目にできたことは幸運だった、記者冥利に尽きる
グッドラックを二つもいただけた、神に感謝している。

スウィングの神様"鉄人・ホーガン"が
大怪我から再起し、感動を与えた大会!

 第1回目の開催は1929年だった。かつては「ロサンゼルスオープン」
という大会名だった。コースの開場が1926年だから、オープン3年目で
の開催だった。そしてこれまで数々の名選手を生んだが、
中でも1947、48年大会2連覇(48年にはこのリビエラCCで
全米オープンが開催され、これにもホーガンが勝っている)など3勝を
あげたベン・ホーガンが知られる。

 "アイアンマン、鉄人"と呼ばれたホーガンは自動車事故で再起不能と
いわれながら復活した伝説の名プレーヤー。そのホーガンを再生させた
この大会は「ホーガンの庭」といわれた。ゴルフジャーナリストとして
歴史を知れば知るほど、ホーガンの存在は重く尊い。

 ユーカリの樹と小さいグリーンとうねるコースのあくまでタフな
たたずまいのリビエラCCは、ホーガンが地元テキサス州のホームコースの
次に好きなコースと聞いただけで、訪れるたび身を引き締める度合いが
高まったコースであった。

 石川遼が2年連続で挑戦する今回。そしてタイガーが個人的なトラブルで
参戦していない今回。それを歴史のつじつま合わせと感じるのか、
どうなのか。願わくば遼に幸運を、そしてタイガーに女神のお許しを、
いずれにしろ明るく笑って終わることを祈る今大会である。

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米ツアー初戦は予選落ちした丸山茂樹は2004年2位に入っている(左)
2001年はプレーオフで惜しくも2位になった伊沢利光(右)

 おっと、いい話を忘れていた。2001年は現地には出かけていないが、
史上最多の6人によるプレーオフが行われ大興奮したことを忘れてはいけない。
伊沢利光がプレーオフに加わり、豪州のロバート・アレンビーに優勝を持って
いかれての2位。勝負は時の運、勝負をかけるところにいることが大切です。
あれから10年。あの興奮を茶の間で期待してるよ~、遼君!

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2010年、米ツアー初戦の石川遼。初日は3アンダー9位タイと上々。
2日目は2打スコアを伸ばしたものの雨天・日没サスペンデッドで暫定7位と健闘

写真はリビエラCCホームページとPGA TOURより

◇武藤 一彦(むとう かずひこ) ゴルフジャーナリスト 評論家。
報知新聞社運動部、編集委員、専属評論家を経て現職。トーナメントの
テレビ解説、コラムなど幅広く活躍。日本プロゴルフ協会(JPGA)理事、
日本ゴルフトーナメント振興協会メディア委員会委員、世界ゴルフ殿堂選考委員。
1939年11月、東京生まれ。

Date:2010.02.06 Category:コラム