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文:武藤 一彦
写真:ゲーリー小林

LEGEND OF GOLFER   Gene Sarazen


天才ジョーンズの質感と相対する職人プロ・サラゼン

 

 

サンドウェッジとサラゼンブリッジ

サラゼンが残した大きな“功績”

 時代背景を知るための略歴。といってもメモ。
 サラゼンは1902年、ニューヨークに生まれ8歳でキャディ、19歳で
プロゴルファーとなる。
 1922年、20歳のとき「全米オープン」で初優勝。1935年の「マスターズ」
までに「全英オープン」、「全米プロ」とメジャー7勝。
 現在いわれるところの4メジャーのタイトルをすべて手中にする初の
生涯グランドスラム達成者となった。

サラゼンのオリジナルサンドウェッジ

 
  1931年には、苦手バンカーの克服のためにサンド
 ウェッジの改造を成し遂げたことはよく知られる。
  9番アイアンのバックフェースに鉛を張っては加え、
 さらに張り合わせるとソールに丸みがついた。それが
 砂の圧力に負けないボールを上げるためのバンカー用
 の重要な武器となった。
  現代風にいうならバウンス(バンスともいう)の
 発見である。
  サラゼンの“功績”である。

 身長1m50㎝そこそこ。イタリア移民の大工の息子で、本名はジオジニ・
サラツェーニ。持ち前の負けん気と小柄ながらがっしりと岩のように強い体躯で、
1920年から30年代の米ゴルフ界を駆け抜けた。
 1974年、ゴルフ殿堂入り。77年コース設計・監修を手掛けた日本で
「ジーン・サラゼン・ジュンクラシック」を立ち上げる。
 1999年、97歳で没する。

偉業を称える意味で開催された「ジーン・サラゼン ジュンクラシック」

トーナメントは、サラゼンが急逝するまで23回開催された。

写真は優勝したジャンボ尾崎プロ。彼にとっても

サラゼンは最も尊敬するプロだった

 
 サラゼンに会って印象に残ったことが2回ある。1回は「ジュンクラシック」。
インタビュールームで、練習場で、隣接するロッジの専用ルームで、日本の
プレスは親しく接する僥倖を受けた。
 当時75歳を過ぎ“翁”というにふさわしい風貌。ニッカボッカにジャケット、
トレードマークのハットを右にも左にも傾けず、まっすぐにかぶった温厚篤実な
人柄にみんな“サラゼンさん”と遠慮なく何でも聞いた。
 だが、そんな好々爺然とした人がアメリカでは毅然としていたのに驚き、
背筋をピンと伸ばしたのは、これも毎年出かけた「マスターズ」だった。

 もうひとつは、あの「マスターズ」のアルバトロス。
 1935年大会の最終日15番、225ヤードのセカンドショットを4番ウッドで
カップインし、この快挙を優勝に結び付けている。これでクレイグ・ウッドに
追いつき、翌日の18ホールのプレーオフにつなげた。

 名物ホール15番、手前池を左のギャラリースタンド沿いに歩くと、
グリーンに向かう石の橋“サラゼンブリッジ”がある。出場全選手が必ず
渡ることで知られる。
 サラゼンの存在感の象徴は毎年見慣れているが、すごい事実の主役を
いまも務める。大した人というしかない。 (To be continued)

 

 

“ダブルイーグル”の代名詞と言えば、マスターズでサラゼンが達成したショット。

当時の飛ばせないクラブでの偉業だけにすごい

◇武藤 一彦(むとう かずひこ) ゴルフジャーナリスト 評論家。
報知新聞社運動部、編集委員、専属評論家を経て現職。トーナメントの
テレビ解説、コラムなど幅広く活躍。日本プロゴルフ協会(JPGA)理事、
日本ゴルフトーナメント振興協会メディア委員会委員、世界ゴルフ殿堂
選考委員。1939年11月、東京生まれ。

◇小林 滋(こばやし しげる) ゲーリー小林の名で知られる日本を
代表するプロゴルフトーナメントカメラマン。日本国内はもとより世界4大
メジャーなど数多くのプロゴルフトーナメントを取材。国内外のトッププロ
とも親交が厚く、中でもタイガー・ウッズに最も信頼されているカメラマン。
これまでの収録枚数は20万枚以上。

Date:2010.09.15 Category:ゴルファー