PREMIUM GOLF
難易度全米NO1のホールにチャレンジ!!
KOOLAU Golf Club(Hawaii U...
文:武藤 一彦
写真:ゲーリー小林

ジャック・ニクラスのプロ初優勝は1962年の「全米オープン」だった。
ペンシルベニアのオークモントCC、あのアーノルド・パーマーの地元とあって
“アーニーズ・アーミー”の反発を真っ向から受けながらの優勝。ご存知のように
「全米オープン」は4メジャーの内で唯一、伝統に従って本戦終了の翌日となる
月曜日に18ホールのプレーオフという厳しい中での優勝だった。
ジャック・ニクラス。メジャー最多の18勝。その華々しいキャリアは、以後
衰えることなく、翌63年には「マスターズ」、「全米プロ」を勝利し、64年こそ
メジャーのタイトルを逃したが、65年には「マスターズ」2勝目を挙げた。
そして1966年、「マスターズ」で史上初の2連覇を達成すると、その年の夏、
ミュアフィールドの「全英オープン」で全英初制覇、プロデビュー5年でメジャー
タイトルをすべて手にするグランドスラムを達成した。
以来、1971年には2回目、1978年には3回目のグランドスラムを記録した。
生涯で複数、それも3サークルの記録は、その後タイガー・ウッズが並びかけ
現在につながるが、1966年から1970年代にかけ未踏の道を切り開いた
ニクラスの当時の存在感と業績は計りしれない感動を呼び起こす。

グランドスラムに関しては数々の伝説がある。
1934年、「マスターズ」が創設され、「全米オープン」、「全英オープン」、
「全米プロ」を合わせて、4メジャーを制するグランドスラムが現代では通例で
ある。
時代の変遷はジーン・サラゼンの足取りが語る。1922年「全米オープン」と
「全米プロ」、1932年「全英オープン」を勝っていたサラゼンは、1935年、
第2回「マスターズ」の15番パー5のホール、あの伝説のアルバトロスで優勝を
引き寄せた。グランドスラムの現在の姿はこの時に出来上がった。「マスターズ」
が出来て、サラゼンがいて、今がある。「マスターズ」が“キートーナメント”と
なったわけだ。
以来、ベン・ホーガン(1946~1953年)、ゲーリー・プレイヤー(南ア・
1959~1965年)。そして1966年、ニクラスが現代グランドスラム4人目
の仲間入り。さらに時代を下れば、タイガー・ウッズが97年の「マスターズ」
から2000年の「全英オープン」までニクラスを上回る4年のハイペースで
達成したことは周知のとおり。

「マスターズ」がキー(鍵)となる大会だという要因はまだある。それは「マスターズ」
創始者の一人、世界最強のアマチュア、ボビー・ジョーンズの存在である。
ロバート(愛称ボビー)タイアー・ジョーンズは弁護士でありトップアマとして
「全米オープン」4勝、「全英オープン」3勝の“とんでもない選手”である。
そのジョーンズが、再びとんでもないことをやってのけたのが1930年、前述の
2メジャーのほかに「全米」、「全英アマ選手権」を加えた“4大メジャー”を
1シーズンに獲得、これをもって年間グランドスラムとなった。
ジョーンズはその直後、28歳の若さで突然、競技生活から身を引き、故郷の
ジョージア州東部の田舎町オーガスタにオーガスタナショナルGCを作り、「マスターズ」
を創設した。「マスターズ」にジョーンズの魂が凝結し、現在があることを理解
できよう。歴史はそこから始まり、つながっている。

(To be continued)
“ゴルフ界の帝王”ジャック・ニクラス その2は、3月10日に公開します、
ご期待ください。
◇武藤 一彦(むとう かずひこ) ゴルフジャーナリスト 評論家。
報知新聞社運動部、編集委員、専属評論家を経て現職。トーナメントの
テレビ解説、コラムなど幅広く活躍。日本プロゴルフ協会(JPGA)理事、
日本ゴルフトーナメント振興協会メディア委員会委員、世界ゴルフ殿堂
選考委員。1939年11月、東京生まれ。
◇小林 滋(こばやし しげる) ゲーリー小林の名で知られる日本を
代表するプロゴルフトーナメントカメラマン。日本国内はもとより世界4大
メジャーなど数多くのプロゴルフトーナメントを取材。国内外のトッププロ
とも親交が厚く、中でもタイガー・ウッズに最も信頼されているカメラマン。
これまでの収録枚数は20万枚以上。