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文:武藤 一彦
写真:ゲーリー小林

LEGEND OF GOLFER   Jack Nicklaus

ジャック・ニクラス、競技生活を目いっぱい戦った真の王者

 

1980年の全米オープンで最終日の最終ホールで

優勝を決めた瞬間のニクラス

二重あごと股ズレからの変貌

1週間で賞金10万ドルを獲得!

 往年のトッププレーヤーを日本人の目線で捉えようと意識しているこのコラム。
ここからは身近なニクラスに焦点を当てる。
 優勝したことより普段の姿、人間ニクラスを追うしかない時代背景の中、記者として
接点が持てたことは貴重な経験だった。今のように世界中を取材できなかったし、
テレビの映像も乏しかった時にニクラスからもらったことだ。

 それは埼玉県の霞が関カンツリー倶楽部だったか、東京ゴルフ倶楽部だったか、
エキシビションでやってきた1967、8年ころのニクラス。太っちょであごが二重、
歩くスピードが速くパタパタと足音がした。
 当時、ゴルフシューズにはほこり除けのカバーが紐の上についていて、そのカバー
が歩く度にパタパタと鳴った。アドレスを後ろから見たら、緑色のウェアの内股が
ささくれ立っていた。まだデブっちょで、何と股ズレができていたのだ。

 バンカーショットでクラブがボールをえぐるように打ち、打った跡が15センチ、
いや20センチにもなろうかというクレーターになった。ボールは、砂の上に
あるがままの姿で砂と一緒に柔らかくフワっと上がった。
“そうか! あれくらい深く強く打つのか”と、後日、実践して大スランプに
陥ったことがある。当然のことながら、パワーと技術が違ったのだ。

幾多の喜怒哀楽を共にしたよき僚友、キャディの

アンジェロ。1980年の優勝にも大きく貢献した

 ニクラスが来日する、という情報が入り羽田に取材に出掛けたが、記者は自分一人。
インタビューは特ダネになったが、悲しいかな英語力が伴わない。何度も同じことを
聞くと、ニクラスは矢庭に取材メモ帖とボールペンをむしり取って
「10万ドル イン ア ウィーク」と書き、「1週間で10万ドルの賞金を手に
したんだよ」とウインクした。
 ニクラスの直筆なるこのメモ、どこを探しても見当たらない。今思えば惜しいことを
したものだ、とその時の出来事を記憶に留めるだけである。

 来日直前の2週間を連勝したニクラスだったが、前々週は最終日が悪天候のため
月曜開催の大会で優勝。そして慌ただしく移動し迎えた2週目も優勝していた。
「だからマンデーからサンデーまでの7日間で2勝、賞金10万ドルを7日間で
この手に入れたんだ。こんなことは私が初めてで、アメリカじゃ大騒ぎだよ」

 まだ羽田空港が国際空港だった時代、1972年。その年ニクラスは4度目の
「マスターズ」優勝、さらに3度目の「全米オープン」で勝ち、故ボビー・ジョーンズ
のメジャー13勝に並んだ。年間獲得賞金が30万ドルを越えたのは米ツアー
初めてという時代だった。10万ドルが1週間で手に入ることの驚き、ゴルフの
賞金の高さとプロスポーツとしての位置づけ。

 ニクラスはその3年前、1969年にダイエットをし10キロ近い減量を達成して
いた。髪もビートルズのような金髪のウェーブヘア。かつての“悪童”からすっかり
イメージを変え、スター選手への道を確立していた。
 悪役が主役を張るエンターテイメントの世界同様、性格を際立たせ、結果を残す
スターという存在の形が変化してきたことを感じた。


  1980年、バルタスロールの死闘でともに
  健闘を称えるニクラスと善戦及ばず2位の
  青木功。青木はこの大会で世界に名が知れ
  渡ることになる

 ニクラスの味はそれまでの誰にもない魅力となり、その後はコース設計、クラブ、
ウェアなどの分野でも存在感を大いに見せた。いまや世界中にニクラスおよび
彼の設計事務所が作ったコースは200以上、履いている靴下、パジャマに
ワンポイントの熊(ゴールデンベア)のマークが金色に輝いても不思議でなくなった。

優勝カップを手に喜びを表すニクラス。オリエンタルマジックで善戦した

とはいえ、東洋人の青木には意地でも負けられなかった大会だった

ペブルベーチでの「全米オープン」で
ティショットの行方を見守るギャラリー

                                                (To be continued)

“ゴルフ界の帝王”ジャック・ニクラス その3は、3月17日に公開します。
ご期待ください。

◇武藤 一彦(むとう かずひこ) ゴルフジャーナリスト 評論家。
報知新聞社運動部、編集委員、専属評論家を経て現職。トーナメントの
テレビ解説、コラムなど幅広く活躍。日本プロゴルフ協会(JPGA)理事、
日本ゴルフトーナメント振興協会メディア委員会委員、世界ゴルフ殿堂
選考委員。1939年11月、東京生まれ。

◇小林 滋(こばやし しげる) ゲーリー小林の名で知られる日本を
代表するプロゴルフトーナメントカメラマン。日本国内はもとより世界4大
メジャーなど数多くのプロゴルフトーナメントを取材。国内外のトッププロ
とも親交が厚く、中でもタイガー・ウッズに最も信頼されているカメラマン。
これまでの収録枚数は20万枚以上。

Date:2011.03.10 Category:コラム, ゴルファー