PREMIUM GOLF
難易度全米NO1のホールにチャレンジ!!
KOOLAU Golf Club(Hawaii U...
文:武藤 一彦
写真:ゲーリー小林

往年のトッププレーヤーを日本人の目線で捉えようと意識しているこのコラム。
ここからは身近なニクラスに焦点を当てる。
優勝したことより普段の姿、人間ニクラスを追うしかない時代背景の中、記者として
接点が持てたことは貴重な経験だった。今のように世界中を取材できなかったし、
テレビの映像も乏しかった時にニクラスからもらったことだ。
それは埼玉県の霞が関カンツリー倶楽部だったか、東京ゴルフ倶楽部だったか、
エキシビションでやってきた1967、8年ころのニクラス。太っちょであごが二重、
歩くスピードが速くパタパタと足音がした。
当時、ゴルフシューズにはほこり除けのカバーが紐の上についていて、そのカバー
が歩く度にパタパタと鳴った。アドレスを後ろから見たら、緑色のウェアの内股が
ささくれ立っていた。まだデブっちょで、何と股ズレができていたのだ。
バンカーショットでクラブがボールをえぐるように打ち、打った跡が15センチ、
いや20センチにもなろうかというクレーターになった。ボールは、砂の上に
あるがままの姿で砂と一緒に柔らかくフワっと上がった。
“そうか! あれくらい深く強く打つのか”と、後日、実践して大スランプに
陥ったことがある。当然のことながら、パワーと技術が違ったのだ。

ニクラスが来日する、という情報が入り羽田に取材に出掛けたが、記者は自分一人。
インタビューは特ダネになったが、悲しいかな英語力が伴わない。何度も同じことを
聞くと、ニクラスは矢庭に取材メモ帖とボールペンをむしり取って
「10万ドル イン ア ウィーク」と書き、「1週間で10万ドルの賞金を手に
したんだよ」とウインクした。
ニクラスの直筆なるこのメモ、どこを探しても見当たらない。今思えば惜しいことを
したものだ、とその時の出来事を記憶に留めるだけである。
来日直前の2週間を連勝したニクラスだったが、前々週は最終日が悪天候のため
月曜開催の大会で優勝。そして慌ただしく移動し迎えた2週目も優勝していた。
「だからマンデーからサンデーまでの7日間で2勝、賞金10万ドルを7日間で
この手に入れたんだ。こんなことは私が初めてで、アメリカじゃ大騒ぎだよ」
まだ羽田空港が国際空港だった時代、1972年。その年ニクラスは4度目の
「マスターズ」優勝、さらに3度目の「全米オープン」で勝ち、故ボビー・ジョーンズ
のメジャー13勝に並んだ。年間獲得賞金が30万ドルを越えたのは米ツアー
初めてという時代だった。10万ドルが1週間で手に入ることの驚き、ゴルフの
賞金の高さとプロスポーツとしての位置づけ。
ニクラスはその3年前、1969年にダイエットをし10キロ近い減量を達成して
いた。髪もビートルズのような金髪のウェーブヘア。かつての“悪童”からすっかり
イメージを変え、スター選手への道を確立していた。
悪役が主役を張るエンターテイメントの世界同様、性格を際立たせ、結果を残す
スターという存在の形が変化してきたことを感じた。


ニクラスの味はそれまでの誰にもない魅力となり、その後はコース設計、クラブ、
ウェアなどの分野でも存在感を大いに見せた。いまや世界中にニクラスおよび
彼の設計事務所が作ったコースは200以上、履いている靴下、パジャマに
ワンポイントの熊(ゴールデンベア)のマークが金色に輝いても不思議でなくなった。


(To be continued)
“ゴルフ界の帝王”ジャック・ニクラス その3は、3月17日に公開します。
ご期待ください。
◇武藤 一彦(むとう かずひこ) ゴルフジャーナリスト 評論家。
報知新聞社運動部、編集委員、専属評論家を経て現職。トーナメントの
テレビ解説、コラムなど幅広く活躍。日本プロゴルフ協会(JPGA)理事、
日本ゴルフトーナメント振興協会メディア委員会委員、世界ゴルフ殿堂
選考委員。1939年11月、東京生まれ。
◇小林 滋(こばやし しげる) ゲーリー小林の名で知られる日本を
代表するプロゴルフトーナメントカメラマン。日本国内はもとより世界4大
メジャーなど数多くのプロゴルフトーナメントを取材。国内外のトッププロ
とも親交が厚く、中でもタイガー・ウッズに最も信頼されているカメラマン。
これまでの収録枚数は20万枚以上。