PREMIUM GOLF
難易度全米NO1のホールにチャレンジ!!
KOOLAU Golf Club(Hawaii U...
元祖・早打ちマックの華麗なるゴルフ人生
文:武藤 一彦
写真:ゲーリー小林

全米オープン、全米プロと2度のメジャー制覇
1971年プロ入り。ヒューストンオープンで初優勝、新人賞
(ルーキーオブザイヤー)獲得以来、トッププレーヤーへと好スタート
を切った。73年はタラハシーオープンなど2勝、74年にはボブ・ホープ
クラシック、フィラデルフィアクラシック、ディズニー・ワールドなど
4勝し、この年、賞金ランキング3位、これが生涯の年間ベスト
ランキングとなる。
しかし、ゴルファーとしての最盛期はこの後だった。76年には
ドラル・イースタン、ジャクソンビルオープン、シーパインヘリテージ
と3週連続優勝をやってのける。2位に6打、2打、5打差という圧勝
を見せた。その強さの理由が振るっていた。
「フロリダで予選落ちをしたのがはずかしく悔しかった」アラバマ州
バーミンガム出身のグリーンだが、大学はフロリダ州立大、当時は
フロリダのベイポイント在住。第2の故郷での不成績はカッコが悪かった。
起爆剤が必要な男なのだ。

メジャー初優勝は77年、オクラホマ州タルサのサザーンヒルでの
全米オープン優勝。そして1985年、コロラド・チェリーヒルズCC
での全米プロはトレビノを2打抑えメジャー2勝目を挙げた。
この間、グリーンは独特のゴルフスタイルで日本でも人気者になる。
1972年の太平洋マスターズで初来日、以来、宮崎のダンロップフェニックス、
鹿児島のカシオワールドと続くインターナショナル3連戦には必ず出場。
中でもダンロップフェニックスには20回出場、外国人プレーヤーとして
は最多出場している。
1975年にダンロップフェニックスで優勝したが、その時は本当に
うれしそうに語っていた。
「プロにとって大事なことは1勝をあげることだ。日本には数年来て、
チャンスはありながら勝てなかったが、ようやく勝てた。日本での初優勝
ができた。これが大事なことだ。私にとって2勝目、3勝目は大して大事
ではない、最初の1勝目をあげることが大事で難しいことなのです」
1勝目が大事。深い言葉だ。
プロ初優勝、日本での1勝というだけのことではないと続ける。
「プロとなって大切なことは勝負に勝つこと。そこで大事なことは
常に敵は自分にあるということだ。いつのトーナメントも敵はいる。
しかし、私にとっての相手はいつも一人しかいない。それはヒューバート・
グリーン。グリーンの敵はグリーンだけだ」

足を組み大きなソファーにゆったりと身を沈めカウボーイハットを
脱いだインタビュールームのグリーン。そこにはゴルフを語るに相応しい
男の姿が浮かび上がった。
この時彼はこんなことも言っている。
「あのバーディパットが入れば、ボギーがなければと言いたくなるのが
ゴルフだけれど、私はそういうのは大嫌いなんだよ。スコアはひとつしか
ない。スコアは一人に一つだけしかない。だから自分と戦うしかないじゃないか」
1946年12月28日生まれ。ジャック・ニクラスの7歳下、トム・
ワトソンの3歳上。ヘール・アーウインとは同年、ジョニーミラーの
1歳上。米ツアーの帝王交代期を生き抜きともに戦った。ツアー19勝、
日本では85年のカシオと2勝。1998年、50歳を迎え、チャンピオンズ
ツアーにも参戦し4勝。華々しくも充実した人生。
だが、気になったのはガンの発病だ。扁桃腺と舌下手術を03年に
行った。手術は成功し07年にはゴルフ殿堂入り。チャンピオンズ
ツアーにも元気な姿を見せている。新たな局面で新たな1勝目を目指す
グリーン。彼なら難局をきっと、乗り切って見せてくれるだろう。
◇小林 滋(こばやし しげる)
ゲーリー・小林の名で知られる日本を代表するプロゴルフトーナメント
カメラマン。日本国内はもとより世界4大メジャーなど多くのプロゴルフ
トーナメントを取材。国内外のプロとも親交が厚く、中でもタイガー・
ウッズに最も信頼されているカメラマン。これまでの収録枚数は20万点以上。
◇武藤 一彦(むとう かずひこ) ゴルフジャーナリスト 評論家。
報知新聞社運動部、編集委員、専属評論家を経て現職。トーナメントの
テレビ解説、コラムなど幅広く活躍。日本プロゴルフ協会(JPGA)
理事、日本ゴルフトーナメント振興協会メディア委員会委員、世界ゴルフ
殿堂選考委員。1939年11月、東京生まれ。
Date:2010.01.03 Category:ゴルファー