“南アの黒ヒョウ”ゲーリー・プレイヤーの本性
1935年11月、南アフリカ・ヨハネスブルグ生まれ。アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラスとともに“ゴルフのビッグスリー”を形成、世界のゴルフ界を常にリードしていた。
文:武藤 一彦
写真:ゲーリー小林

黒のウェアが勝負服、ついたあだ名が「黒ヒョウ」(ブラックパンサー)。
まさにプレーぶりはヒョウの狩り、牙をむきフェアウェイを疾駆すると、
ホールに静かに忍びより獲物を決して逃さない。
前傾を深く両膝を絞り込んだクラウチングなパッティングスタイルから
繰り出すパットは、バーディパットを驚くほど正確にカップに沈めた。

小柄な体躯を鍛え上げてパワーゴルフを維持するカリスマティックな
生き方も有名で、「ミスターフィットネス」とも呼ばれた。日本人は
「南アフリカの黒ヒョウ」と呼んだ。みんな大好きだった。
ゲーリー・プレイヤーは身長170センチ、体重65キロ。直毛の黒髪、黒い目。
日本人と変わらぬ体型、風貌で日本のファンを虜にした。
「ノーオイル、ノーミート。ワインはほんのちょっと、アルコールもノーだよ」
強さの秘訣を聞くと必ず、油はだめ、肉もノー、酒は慎め。そして必ず付け
加える。
「ニンタ~イ」
忍耐(Patience、ペイシェンス)、「ゴルフは我慢だ」と人差し指を立て、
自分に言い聞かせるように指先を小刻みに振るのだった。
1953年プロ入り。米国ツアーで58年初優勝、59年に「全英オープン」優勝、
61年には「マスターズ」で外国人初のチャンピオンになった。62年「全米プロ
選手権」、65年には「全米オープン」と4つのメジャータイトルをすべて手中に。
ジーン・サラゼン、ベン・ホーガンに次ぐグランドスラム(メジャー4大会勝利)
の偉業達成、むろん外国人初の快挙だ。
このあと「マスターズ」には2回の計3回、「全米プロ」も勝ち星をひとつ加える
など、PGA TOURで24勝。が、こんなことで驚いてはいけない。
自国の南アフリカツアーを始め各国を渡り歩き、日本にもやって来て「読売
オープン(61年)」、「JALオープン(72年)」など世界各国で計110勝も挙げた。
110勝ですよ! さらに後になるがシニア入りすると、米チャンピオンズツアー
でも19勝というから、いつ寝ているのかと心配になる。 (To be continued)
◇武藤 一彦(むとう かずひこ) ゴルフジャーナリスト 評論家。
報知新聞社運動部、編集委員、専属評論家を経て現職。トーナメントの
テレビ解説、コラムなど幅広く活躍。日本プロゴルフ協会(JPGA)理事、
日本ゴルフトーナメント振興協会メディア委員会委員、世界ゴルフ殿堂
選考委員。1939年11月、東京生まれ。
◇小林 滋(こばやし しげる) ゲーリー小林の名で知られる日本を
代表するプロゴルフトーナメントカメラマン。日本国内はもとより世界4大
メジャーなど数多くのプロゴルフトーナメントを取材。国内外のトッププロ
とも親交が厚く、中でもタイガー・ウッズに最も信頼されているカメラマン。
これまでの収録枚数は20万枚以上。
Date:2010.08.20 Category:ゴルファー